花見の思いで話をしようと思うのですが、その前に。
最近いちばん嫌いなCMは、タウンカントリー。木村拓也が「世の中には2種類の人間がいると思うんだ。開いてる奴と、閉じてる奴。」というCM。キムタクに罪は無いんだけどね。
 まず「世の中には2通りの人間がある」という使い古されたレトリックが嫌い。いかにも語彙の少ない文筆家が書きそうな、そして英文翻訳調の文体が嫌い。
 初めて見たのは、古い文学の誰かが「世の中には2通りの人間がいる。バロック音楽を愛する人間と、そうでない人間」と書いていた。その時は、へぇと思っただけでしたが、要するに「私はバロック音楽が好き」ということを持って回った言い方をしただけ。
 そして、2種類の人間なんて実際はいない。開いてる奴と閉じてる奴だろうと、何だろうと。実際の人間はすべて中間の何処かにある。どちらに属するか、という二元論に収束させようという思想が嫌い。
 もし2種類の人間がいるとすれば、それは男か女かということだと、わしゃ思うが、如何だらふ。それさえも、その中間にあるマイノリティを切り捨てているけどねぇ。
  前置きが長くなりました。花見の思いでといえば、忘れられないのは20代前半の若者だった頃、私が友達に声を掛けて、言い出しっぺになったことがあったのよ。で、当日来たのは、男がひとり。で、彼に怒られました。「どうなってんだよ、フザケンなよ、俺は帰るぜ、なんでアンタと差しで飲まなきゃなんないの。いいかげんにしてくれよ、わざわざ来たのにガッカリだよ。」と言いたい放題言われました。それ以来、私が言い出しっぺになることは無くなりました。

  気を取り直して、楽しかったことを書こう。
ヴァージンVSで花見したとき。車座になって、手拍子で、パンパン2、7、パンパン7、4、と繋げていく遊び有りますでしょ。あれをやってたら、夕暮れ急に暗くなった頃、偶然メトロの連中がやって来たのです。私はヨタロ、GUNとはメトロ以前から一緒にやってて知り合いだったわけです。で、GUNちゃんヴァカボンが私どもを指差して「何だこの集団は〜」ワッハッハと大笑いされました。確かにドン臭いです。そのあと全員酔っぱらって、しん平は行方不明になり、戻ってきたら靴が片方なくて、もう言ってることの意味がわからねえ状態でした。あがた氏は「これぞ、ザ、ハナミ」と連呼していたように記憶します。あの時は凄かった。
 で、毎年井の頭公園でやってたわけですが、若い頃は無茶でした。一色くんが泥だらけになっていたこともあった。私もいつの間にか他人の知らない集団で飲んでる時もあった。いわゆる開いてる奴だったんですね。年取ると酔えなくなっちゃったよ。
  昨今の若者は、全裸になって陰毛に火を付けてギャーギャー騒いだりする者もおるのですが、そこまでやると回りに迷惑ですよね。
 何年か前に、野ばら君と、本物のお嬢様達と5人ぐらいで花見した時は、トランプしちゃったりして、お重に御馳走があったりして、ワタクシ的には嬉しかったな。奇跡的な会合でした。

 えーと、山なし、オチなし、意味なしは毎度のことなのですが、強引にまとめるならば、花見ってのはどの程度準備するかがビミョ〜なんだよね。カラオケ機材を持参するとか、ひとり一芸とかは、以っての外。だけど何か準備するわけで、でも準備した事って、マーフィーの法則により大抵ハズスんだよね。花見に限らないか。ライブのMCでも。あなたの仕事でも多分そうでしょう?
 例えばキンピラゴボウ作っていくと、3人キンピラだぶってたりして。
 ボルコウスキーの法則
偶然に対する対策はない。
 タイルザックの確率の公理
偶然は偶然を呼ぶ。 

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