ヴァージンVSの5〜6年前から音楽を仕事としてやっていたけど。北海道から沖縄まで走り回ってやっていたけど。神経は切れそうだったし、肺は破裂しそうだったけど。ファンなんて人は一人もいなかった。「良かったです、また来ます」と言われるか言われないかの違いは大きいです。ヴイズをやって、私の動作や存在で、お客さんが喜んでくれることもあるということを体験しました。
 ま、今でも、喜んでくれるお客さんが居なくなったら、辞めるしかないと思ってます。
 1980年。相変わらず拷問のように忙しかった。カツラギ・Yさんと、アンナさんの仕事が多くて、この年だけでも百九回のライブやらイベントやらが有りました。それが無い日は虎の門のスナックで、酔っ払い相手のピアノの伴奏をしていた。カラオケブーム以前のことでした。
 私の趣味はどんなだったかと言えば、メレンゲのジョニーベントゥーラ、サルサのエクトルラボー。相変わらずブルースにもどっぷり。しかしロックでは、アンディパートリッジの「テイク・アウェイ」フライング・リザーズ等を聴いていた。そして日本では坂本「B-2・UNIT」ライダース「カメラa万年筆」等の時代でした。

 ホットランディングも四年目になっていたが、なかなかメンバーも固定せず、年明け早々ドラムの井の坊が脱退宣言したりして、結局ボッシに戻ってきてもらって、ライブやったりしました。ギターのマーシーは「音楽やめる」とか言い出す始末。
 4月1日、ラフォーレ原宿でイベントが有りまして、たしか対バンで、モッズが出てた。東京でのデビューだった筈。ホットランディングは「カバーガール」「象のような女」「ジュネフィユ」やってます。カセット有るんだよねー。今、聴いた。悪くないけど。よっちゃんのストレスは相当なもんだったと思う。

 私はウシャコダてのも有って、その日もサウンドチェック後レコーディング1曲して、急いで戻って、化粧もせずにライブやっている。無茶だよね。11日には、よっちゃん、GUN、私と3人でリハして、21日には最後のライブになってしまった。新宿ロフトで。対バンは、プラネットと、レコ発のシネマ。
  シネマと言えば、それに先立って、一色くんに頼まれて、某事務所に デモテープを持っていったのだ。社長が興味を示して「曲いいじゃん、歌もうまいし。他のメンバーは差し替えりゃいいんだし」と言われた。苦い気持ちになりましたよ。結局デビューシングルに顔が載ったのは、ボーカルとギターの二人でした。なんだかなぁ…。


 さて、ヴァージンVSですが、初ライブは奇しくも同じ4月。ホットランディング最後のライブの三日後でした。
 そもそも、あがた氏のライブサポートは何度もやっていたのです。風都市経由で。でも、ヴイズの時は、あがた氏本人から電話があった。「今度リハーサルに遊びに来ませんか。あの大きなカバンに、お医者さんみたいに色々入れて。」と言われて、目が点になりました。以前、渋谷の駅ですれ違った時に、私はコルグMS-20をハードケースに入れて、えっちらおっちら歩いていたので、そのシンセのことを言ってるのだろうけど。しかし、お医者さんのカバンて…、凄い表現ですよね。
 で、荻窪mistyで2回リハーサルをしました。2回とも大遅刻。もう毎日が限界で、開き直っていたようです。何が疲れるかといえば、毎日どこかに車を借りに行って(マイカーが無かったので)エレピとか、オルガン、レスリーとか運んで、リハやライブの後に再び楽器をどこかに運んで、車を返却して帰る。という肉体労働。限界です。
 ヴイズをやるに当たって、あがた氏から渡されたカセットが、今では幻の「乗物図鑑」だったのですが、これに「コックテイルマシーン」や「ブリキロックンロール」等が入っていた。当初ヴイズは、これらの曲をライブでやるために結成されたバンド、と理解した。このアルバムが無ければヴイズは無かった。このアルバムこそが、ジョルジュ・メリエスのフィルムの付帯音楽に成りえる物でした。激しく嫉妬した。これはヤバイ物、危険な物だと思った。「乗物図鑑」に関しては、またいつか、ちゃんと書きたいです。

 ヴイズは、ぶっちゃけヘタでした。あの頃、私等はフュージョン通過してたんだけど、ヴイズはスゴイ不器用でした。でも、ライブ時のあがた氏の情念は、ちょっと怖い物がありましたよ。初ライブのカセット有るんだよねー。今、聴いた。ウ〜ム、ドロドロしている。無愛想でMCも無い。でも「エアプレイン」も「ロンリーローラー」も、その後ずっとやり続けていく重要曲、7曲も入ってるんだよ。「ラジオシティ」なんてリズムマシンKR-55使っていてビックリ。
 ヴイズでは張紅陽がピアノ等やっていたので、私はジュピター4、MS-20、ボコーダー、KR-55でした。メンバーは久保田サチオ、ヒカル、テック、木村しん平、ベースはどこにも書いてないんだけど、相田くんて名前だったと思う。
 5月はヴイズ無し。ウシャコダのLP録音。その最中に日仏会館リサイタル。その翌日は厚年で、マディウォーターズの前座。恐れ知らズ、と言うか、よくやったよね。マディと握手しました。写真も撮りました。
 5月は13日に郵貯で、DEVOを見たのだった。これは凄かった。面白いっ!あがた氏も来ていて、一緒に下北で遅くまで飲んだ。この年はポリス、スペシャルズ、てのも見たんだよなー。今から思うと夢のようだね。  2004.7.21

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