ロックてのは昔々からあった訳ではなくて、50年代中頃にプレスリーやチャックベリーが流行って始まったのです。私とオナ歳。ちなみにゴジラも。自衛隊もオナ歳。
 いきなり話しがそれるけど。私なんか皇太子(今の天皇)ご成婚うっすら覚えてるよ。当時、死のバズ通り(不忍通り)に都電が走っていて、花電車になってたよ。あと東京タワーが完成した時、祖母と行った記憶が有る。Always三丁目の夕日、リアルタイムでした。小学生の時8世帯のアパートで電話機1台共有。電話が掛かって来ると、ボクが各家に「電話ですよーっ!」て呼びに行ったりしてた。
 話しが逸れまくりです。60年代と今を比べても、町の風景も部屋の中も劇的に変わっているけど、意外に食事内容や、音楽の曲の部分は変わってないと思うよ。ま、反論もございましょうが、実際LPが始まった頃の物を今聴いても違和感は無い筈。

 レコード話しは、いつかきっと、みっちりまとめて致します。てゆか、52枚のレコードを選んで、もう書いてあるのです。そのうち読んでもらいます。でね、その52枚の中に、ニールヤングは入れなかったのです。1970年アフターザゴールドラッシュ。あんなに好きだったのに。あの素朴さには誰もがビックリした。アメリカ、ウェストコーストの良心であり、別格でした。  で、ザ・バンドが南部の良心であり、別格でした。ところが、ニールヤングもザ・バンドもカナダ人なのよね。ドーナッテンノ?てゆーか、アメリカという国自体に根っこが無い。外国人がアメリカに対しての誤解した憧れ、間違ったイメージ、それこそがポピュラーミュージックの本流なんさ。60年代ビートルズなども、アメリカに対する憧れで始まったのですし。ジャズやラテンにも、歌謡曲にも、そんなところが有りますよ。偽物が本流なのよ。

 解散したザバンドや、死んだ人はエヴァーグリーンですけど、やりつづけているニールヤングは…、ぶっちゃけ格好わるいですなぁ。貴方は「やり続けるニールヤングが好きだ」と言えますか。であるならば、彼が95年以降も出し続けている10枚のCDの中から、何枚買いましたか。1枚も買ってないんじゃ言う資格は無いね。  私は、91年の評判だったウェルド(VTR)で、なんだかな〜、もういいやと思ってしまいました。ニールヤングって、ユーモアのセンスも有る人だと思っていたのに。有りませんでした。ニールオールド。11月号のミュージックマガジンで大特集だし、Playerの表紙にもなってたけど、なぜかしらん。

 あっそーだ、ニール自選のグレーテストヒッツは買ったけど、16曲中14曲は1978までの作品でした。彼自身も分かっているんだよね。
 J.B.とか、ストーンズとか、R&Bでも、ブラジルでも、長いスパンでのベスト盤聴くと、ロックもPOPSも、70年代中頃までが華だったんだとつくづく思います。その理由に付いては、今後も検証し続けていきます。

 11月号のミュージックマガジン見ると、ストーンズ、ポール真っ赤ートニー、レオンラッセル、サンタな、バーブラストライ三度、クリーム、クイ〜ン、遠藤賢司、ソニーロリンズ、弘田三枝子、E.W&F、ガルコスタ、毛糸ブッシュ。一体!何時代の話し?と思われるでしょうが、これ全部、新録音の新譜なのですよ。どれかひとつ買うとすれば、ポールかなぁ…。実はウィングス以降はBEST盤ぐらいでしか聴いてこなかったんで、不義理をしていた感が強いです。
2005.11.18

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