ロックの終点というのは「神は死んだ」とかいうその手のレトリック。
 あるいは「紅白歌合戦は終わってる」とかいう「言い方」(慣用語)として。
 実際は終わってないけど、みんなの価値観が多様化して権威が失墜した。とも言う。
 もちろん意味も質も見かけも、どんどん変わって行くよね。
 ちょっと長くなるけど、ロックについてどう思ってるか書きます。
 高校生の頃エレキは不良の物でした。ぼくは学校でレコードコンサートとか主催して(ほとんど人は集まらなかったけど)ロックを社会的に認知させよう、一時の流行でも不良の音楽でもないんだ、と訴えたかった。ロックは教えられて習ってやるものではない、自由なんだ生き方なんだ。ってね。赤面するね。(恥じ入ります)

 例えば…うろ覚えで間違ったこと書くのはマズいのだが、澁澤龍彦か何かの「あとがき」に誰かが書いていた気がする(スッゲエいいかげん)のだが「彼は生前、欲望の解放を言っていたが、現代の若者の欲望のままに行動する、乱れた生き方を見たならば、苦々しく思うに違いない」と書いてあったような気がする(スゲエいいかげん)。
 まさに私は「社会的に認知されたロック」を苦々しく思っています。だって格好だけじゃん。自由でもなくて、様式になってるじゃん。
 皆さんは「おいチョット待てよ、お前はロックをどう定義するのか」とおっしゃられるでせう。はい。ロックとは、1954年に米白人が黒人の真似をすることで始まった音楽。で、エレキやドラムを用いて、8ビートを基調として、大音量、特にキックやベースの低音を強調する音楽。どう簡潔でしょ。
 皆さんは「オイちょっと待てや、ロック的なる意識、精神という物が無いのかよ」とおっしゃられるでせう。はい。無いです。有ると言ってしまうと、ヒップホップとか、暴走族とか、あるいはオモチャ売り場で「買ってえ!」と泣き叫ぶ幼児にもロック的な精神が有る、とも言えます。

 よく「あなたにとってロックとは」みたいな質問がありますが、あなたにとっても、その他にとっても、事象事物は変わらないよ。感想は人それぞれ違うだろうけどね。私個人の感想を言わせてもらうなら、1990年以前が好きです。

 私はたぶん誰よりも○○○を愛していた。○○○のことばかり考えていた。大好きだったから。でも、1976ホテルカリホルニアを聴いて、あぁもう夢は終わったんだなと了解しました。歌詞にも有る通りです。
 ちなみに終わったんだと思いながら、私がロックを始めたのも1976年でしたヨ。矛盾してますよね。
 1977年、私は気がつくのに2年遅れたけど、パンクが反旗を翻した。で彼らは「全てにnoだ」と言うし、ロックに敵対していたヨ。私から見ると、ロックンロールリバイバルとしてかっこ良いと思いました。その後のNWも、百花繚乱というよりも百鬼夜行で面白かった。徒花としてね。アダバナスキーです。


 それで終わり。90年以降は、いくら探してもBECK以外は見つからない。ジョンスペでカッコいいものが有るなと思ったけど、1枚でいいや。あとはもうキリスト教やアメリカ白人に対する疑問符も手伝って、白人の英語の音楽よりも有色人種の音楽に惹かれるようになりました。  しかし未練タラタラで、今も興味は有るですよ。十年前にブラーのデビューに対して、よく分からんと思いながら、最近のブラーも久しぶりに買ってみて、やはりよく分からんと思った。新しい物もたまには聴くですよ。今日は今日とて、本屋でAERA増刊号「in ROCK」なる雑誌を買ってしまいました。未練タラタラですよ。

 それではロックの嫌いなライオン目類はもうロックをやらないのか。結果的には次作もロックの範疇に入るでしょうね。自ら「これはブルースです」「ヒップホップです」と宣言しないかぎり、ロックとしての括りに入れられますからね。  ロックも、ブルースやジャズと同じく、歴史上の音楽になったと思いますが、それはもう振り返らなくてよいという訳ではない。むしろ逆。温故知新というわけです。
 私がBLUESというCDを出したのも、本当に好きだから。そして「本当に好きだ」と百回書いても多分貴方はブルースに興味を持ってくれないだろうから。だから自らBLUESをやりました。
 じゃ次回はROCKというタイトルでロックをやりますか?それは…無理。それはアリエナイ。
2005.2.23

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