ボブディランの「ノーディレクションホーム」見て来た。座席数50の吉祥寺バウスシアターです。映画(演技)は興味が無いので、ほとんど見ないのですが、アーティスト物は別です。ドキュメントですしね。
 デビュー前の話から始まるのですが、いわゆるヒストリー物、スタ誕ものとはちょと違いました。60年代(前半)の空気をまるごと感じることが出来る。逆に当時のことに何のこだわりも無い人には3時間半は新土井と思います。例えば、二十歳頃のマリアマルダーが、三つ編みオサゲでコーヒーハウスでクネクネ歌うシーンがちらりと有って、私などは悶絶。あとアルクーパーの述懐は、十回見ても面白いはず。私は分からないけど、C&Wファンは、ウッディガスリーやハンクウィリアムス等々に気絶するでありましょうぞ。
 もちろん9割はディランなので、ディランファンは卒倒でありましょう。60年代のディランなんて写真でしか見たことないもんね。そもそも喋るディランなんて初めてですよ。
 この映画を説明するならば、フォークの旗手として時代の頂点に立たされた彼が、エレキに持ち替えて裏切り者扱いされる様子です。映画のラストは1966.5、マンチェスターの、客が「ユダ!」と野次を飛ばす有名な、というより伝説のシーン。その映像が有ったってのが奇跡ですよ。それに答えて「デタラメだ」そして「でっかくいこう」(Play it Fuckin' Loud!)と言って始める「Like a rolling stone」で映画は終わります。
 全く。あの曲って私どもに取って特別な曲ですよ。あの曲で66年、ディランの最高位は第二位。ちなみに1位はビートルズのHELP。翌67年、ジミヘンがモントレーでカヴァーした「Like a rolling stone」これがまた。意外でしょ。これがまたスゲー。岡林の「それで自由になれたのかい」はモロそのまんま。あと、ストーンズは『ネイキッド』で…。と確認しようとしたらCDが無え!貸したままか?ん〜?よ太氏のような気がするなぁ…。最近では田口トゥモロオ監督の「アイデン&ティティ」でテーマソングになっていたような…。

 ぶっちゃけ、私は熱心なディランファンではありません。ロックを聴き始めた69年から、歌詞よりもサウンドに興味があったものですから。そして現在では、詞よりもサウンドよりも、雰囲気に興味があります。あっ!考えてみりゃ、当時からそーだった。
 高校生の私は、ずっとディランを敬遠していて。でも良いに決まっているのだろうし、いつかは買わなきゃならない。1973年には12作目のビリーザキッド(サントラ)まで出ていた。ちなみにロードショーで見ましたよ。
 LPは何を買えばよいのかワカラナイ。どの道1枚では評価出来ないだろうと思い「ブリンギング…」「ハイウェイ61」「ジョンウェズリー…」3枚まとめて買った。そしたら二つ下の普段はおとなしい弟が激怒しまして。顔真っ赤にして「オマエなんかツェッペリンでも聴いてりゃいいんだよ!ディランを聴く資格はない」と怒鳴りまくって、昼間から布団かぶって亀のようになってしまった。読者には理解出来ないでしょう。もちろん今なら一家に2枚同じレコードがあっても良いと思えるのですが、当時は、如何にして自分の欲しい物を相手に所有させずに自分が所有するか、にシノギを削ってました。
 昔話は切りがないのでやめましょう。案の定、私はディランに夢中にはなれなかった。私にディランを聴く資格はあるのだろうか。みうらじゅんさんなら何と言うだろうか。プヒ〜。
 今に至るまで、何度か買ってみたけど、結局私はディランのファンになれなかった。どれも手元から離れて行って、結局残ったのは69年(ナッシュビルスカイライン)以前の5枚ぐらいとベスト盤CDだけでした。

 ディランといえば、気難しい頑固じじいというイメージが最初からあったのだが、映画を見てオノロイター。カワユイ(´д`)あ〜…。やっぱ、カワユくなければどもならんっちゅーこっちゃね。違うか。不細工でも音がかわいいという方向もあるか。
 で、歌う顔は若かりしレノンに似ている。ホント。あと菊池成孔さんを連想したが、それはサングラスのイメージだけかもしんない。
 ジョーンバエズはディランに「母性本能を刺激するのよね」と言っていた。その序音婆絵図も可愛い。ちとせちんに似てゆるかも。あとアルクーパーは森俊之氏に似てちょうかも。
 ま、顔はともかく、不器用で思い込みが激しいという点で、そりゃもう、まずあがた氏やマルタ氏を思い出さない訳にはまいりませぬ。小泉散るどれんが流行語に認定されたけど、元を正せばディランズチルドレンから来た言葉だと思うよ。モットザフープル、友部さん。歌唱に限らず20世紀の音楽を(意識を)1964年を境にすっかり塗り替えてしまったのは、ビートルズとボブディラン。これは客観的事実です。
2006.1.30
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