TVネタはなるべく控えようとしてますけど、今年一番の緊張、出ました。生放送で、たけしと太田光の暴走、個人名出まくり。
 ピークは久米宏さんが、石原慎太郎に対して、「苦手だから。そばに居るだけでイヤだから」と言ったあたり。ドキドキしたな〜。
 私、こども居ないくせに、学校とか教育とかの番組、見ないではいられない。ホントに心配です、気になります。でも基本はバラエティでした。私もTVにツッコミ入れながら見てました。
 おっさんになると、社会の問題に対して、ひとこと言わずにはおれなくなるのだよ。婦女子には理解しがたいだろうが、それが男なのよ。カッコ悪いことは百も承知。私も言います。でも、なるべく、慎重に。
 番組中「品格」というキーワードが何度も出て来たので、私も一言。これホントに何よりも優先して欲しいこと。
 日本は恥の文化でした。つまり世間体を気にして村八分を恐れる体質。ところが近所付き合いも無くなり、恥という概念そのものが希薄になってきた。
 方や欧米では罪の文化。つまりキリスト教(神)を恐れる体質。ところがココでも信仰心そのものが希薄になってきた。これらはいずれも致し方のないところ。母を恐れるか、父を恐れるかの違いと言い換えても良い。何にせよ、ほとんど希薄になっちゃった。

 で、最後の踏ん張りどころは品格ということ。これは解りにくいね。品格って何。ある人は「愛」と言う。ある人は「思いやり」と言う。でも私は、それらも所詮自己満足かもしれないし、余計なお世話と言われかねないモノです。
 私はやっぱり品格だと思うよ。下品になるなということです。以前もどこかに書いたけど、品格が無いってのは、例えば「ちょっと得する」ということ。ちょっと損するぐらいで人としての道を歩くことが出来るのだと思うよ。
 ホントは自分とか、私とかいうことを捨てられれば、自分を大事にしたりしなければ本物の人格者になれる筈だが、貴方も私もそれは無理ポイよね。せめて自分がお金や時間を使えることを、少し恥ずかしく思いましょうよ。つまり、イコール、何かを愛しているということを、少し遠慮がちに感謝しましょうよ。愛していることを得意になってるなんて、ホント厚顔無恥ですよ。

 何故こんな下品な人たちばかりになってしまったのか。戦後の日本(=君達の親)が欧米を手本にしたから。権利とか言い始めて、民主主義とかに洗脳されちゃったから。欧米化っ!幸か不幸かキリスト教は輸入しなかったから、罪の意識は輸入しなかった。  品位に欠ける人間は、他人の気持ちを推し量ることも不得意である。例えば「パンが無ければ御菓子を食べればいいのよ」。こんな極端な例を出さずとも、僕らみんな普通に下品ですよね。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですよね。

 にゃんだか偉そうなことを書いてしまって、引っ込みが付かないので、TVついでにもうひとネタ。
 今、クイズヘキサゴンが一番オモロイなぁ。やっぱ、バカが最高に笑えます。芸で笑わせるってのは、天然に比べたら百メートルぐらい不利ですよ。クイズで正解を答えても面白くも何ともない訳で、トンチンカンな間違いだから笑う。これは当然な流れ。芸(ボケ)ってのはワザと頓珍漢なことを言ったり、間違えた振りをしたりすること。ならば本物のバカには敵わない。
 私の書く物は、ワザと誤変換(駄洒落など)を多用してます。つまり間違いこそが笑いの素です。正しい日本語で正しい意見を書いても、読者を感心させるだけですから。
 で、芸能人ってバカでオモロイなぁ、と思う訳です。イッパンピーポーはあの場面で、恥ずかしがって馬鹿連発は出来ませんよ。つまり私は恥さらしな人々を笑っているのです。知識や教養が無いということを笑っているのです。で、ふと思ったのですが、1980年以降に生まれた人は無教養ということを恥とも何とも思ってないんじゃないのかな?ってこと。 (2006.11.12)

読み返すと、かなり上から目線でした。嫌味な。恥知らずがダメとは思ってないのです。私も人前で何かをやるということは、恥との戦いですものネ。

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