今回書くのは単なる想い出話しだす。あの頃は良かった、ってね。またかよ。本格的な年寄りですから。 雑誌、国産名車コレクション、これ私の年代にジャストフィット。1960年代後半。人類は青年期だった。 音楽産業が確立して、録音技術も進化した。これって偶然じゃないんだよね。いつか、ちゃんと書きます。あの時代。 国産自動車産業も。青年期。最近本屋で平積みになってる「国産名車コレクション」第1号(2月1日)はスバル360。 |
これ我が家の初の4輪車。ちょなつか。私が小学校に入学と同じ頃、我が家にやってきた。42万で、大卒初任給が1万円台前半だってぇから…現在の価値では400万ぐらい??我が家は貧乏だと思っていたけど、有る意味カネ持ちだったのね。ウチのは屋根がキャンバス布で畳めるやつ。コンバーチブルですよ。嬉しかったよね〜。360ccで4人乗ると、坂道登れないの。降りなくちゃなんないの。ははは。で、形がカワイイのよね〜。マルッとしていて少し眠そうなカンジ。このミニカーが付録だから買わない訳にはいかない。 |
この雑誌シリーズ全部買った訳ではないけど、弟(49)は全部買ったらしいけど、第2号付録はスカGですよ。スカイライン2000GTR。ハコスカ。第3号はトヨタ2000GT。1967。私は中1。ピアノやめ(させられ)ていたけど、ちょいちょい練習していて。譜面台にクルマの雑誌のピンナップ、トヨタ2000GTの写真ながめながら。ショパンとか弾いていた。アホか。でもホントにカッコ良くて。今でも世界一美しいクルマだと断言出来る。当時量産車としては世界最高速220km/h。量産車とはいえ生産台数337台だってさ!。そのほとんどが輸出されたってんだから。町中路上で1回も見かけなかったのもムベナルカナ。数年前、お台場のクルマの博物館で、これ見ました。座席に座りました。ちょっと泣きそうでした。 |
当時日本は外国に追いつけ追い越せで、クルマも外車の真似が基本だけど、逆に個性的で男気を感じるクルマも多かった。いすゞもホンダもね。同じ1967にマツダはコスモ。この第5号付録。これは現実離れしていた。未来のクルマ。空を飛びそうなデザインでしたよ。町中で見かけると鳥肌&小さくジャンプでした。ロータリーエンジン。レースにハンディ付けさせられて、悔しかったろうねぇ。1967の東京モーターショーのカタログ本、ボロボロになるまで見たなぁ。また見たいなぁ。そーだヤフオク検索してみよう。 |
あの頃の国内レースのチラシ持ってる筈。ですぐ見つかった。1969JAFグランプリ、カンナム、日本グランプリ。ニッサンR381(高橋国光)トヨタセブン。富士スピードウェイにて。8000cc怪物マシン上陸!スゲ〜。懐かし〜。東名高速全通近し!だってさ。 1969といえば、村上龍の「69」出だし読み返してみようと思ったが、こちらが見つからなかった。 |
1969。ビートルズのアビーロードを聴いて。クルマに対する興味は急速に消滅した。今はもう荷物さえ積めれば何でもいいです。 てゆか、80年代、クルマはみんな同じような顔になり、全部オートマになり、つまらなくなった。同じ頃ロックもつまらなくなった。 これって偶然じゃないんだよね。 2006.4.11 |