旅の途中です。
えーと、9月4日AM2:45です。梅酒の後で缶ビール3本目を開けた状態。湯田温泉の『小てる』というさっぱりした6畳間で書き始める。
 先刻まで『モンタレーポップフェス1967』の解説書(のコピー)を読んでいたのですが、ヤパーリ米国の評論家なんてものは低能ですよ。高みの見物をしながら、批判的な事を書くことによって自分を偉そうに見せる、ということに腐心する。まことに哀れな連中ですな。反面教師。私は彼らのように下品な権威にならないように、終始一貫お調子者を貫き通すことを宣言いたします。下品な権威の特徴。文中に人名など固有名詞を多く出す。日本人でも低能駄文の特徴として、辞典に載ってないカタカナ言葉を多用する。つまり自分を利口に見せようとする工夫です。私の文章においても、日常会話では使わない単語や慣用句が顔をだしますが、それは昭和の常識が平成で失われてしまう危惧であり、寂しさであるからでし。「危惧」なんて単語もいずれは無くなってしまうのかしら。
 さて、9月2日早朝に家を出て、山口に着いてからも、その都度、その折々、色んな事を思う。法要が済んで納骨。遠い親戚の人であろうと、年齢が近ければ笑いも通ずるもんです。旅館の卓球(初体験)になったりして。球技センスが無いのでひとつも打ち返せない。
 色んなコトを思う。その思った事を取り留めなく、際限なく感想として書き連ねる事は、読者の迷惑だとヲ・モウヨ〜。的を絞らなくちゃね。TVを2時間見てるだけでも、取り留めなく思う事は8000字くらい書けるもんね。そんな感想は世の中の迷惑だよ。先程の米国のロック評論みたいなもんさ。

 さてさて、何に的をシボローかニャ〜。中原中也だろうか。彼は湯田温泉の生まれなのね。昨日記念館を見てきましたよい。ロックシーンにも中原昌也という人がいるし。アレルギーの宙也という人もいるし。ヤプーズは中原くんだし。中原中也、音楽界にも少なからず縁の有る人かも。高田渡はミシシッピージョンハートやピートシーガーの曲で山之口獏の詩を合体させたスタイルだったけど、中原中也の詩も歌っていたよなぁ。いたよぅな(?)
 中学生の時に国語で詩というものを知って。友人の加藤くんと現代詩のパロディー作ってギャハハは笑ったものでした。宮沢賢治ってのは、善人で正しくて哀しくて、敬遠しました。むしろ萩原朔太郎、金子光晴、中原中也、そして草野心平だよね〜。魅力的でした。
 文学。なんてえと高尚なモノの様ですが、昭和の初期に中也は20代だった訳です。
今の私から見たら子の年齢です。実際、写真とか手紙とか見ると若者達ですよ。遊び歩いたり、悩んだり、喧嘩したりしている若者達。ふふふ。で、彼等も結構中央線沿線にいたのよね。西荻にも。

 今回、常設展の他に、中原くんの友達の、コレクターの青山くん関係の展示もやってました。彼は本の装丁などもやっていたけど、基本は趣味人っつーか、粋人っつーか、遊び人っつーか。今で言えば音楽ライター?違うかな。で もなかなかに自分の考えが有ったようです。蕎麦猪口(そばチョコ!って)を集めていて、段ボール箱にマジックインキで装丁してたりするのが、私の父親っぽくて、ハッ!としました。筆跡も似てるんだよねぇ。で、スライドの箱というものに模様を描いたり、貼り絵(コラージュ?)してたりして、これも同じような物があったなぁと驚いた。スライドって何?と思ったら、スライド映写機に掛ける写真だ。子供の頃、父はたくさん写真を撮っていて、スライドも小さな箱に数えきれない程あった。すっかり忘れていた。アレ全部捨てられただろうなぁ…。10箱ぐらいは私が貰っておくべきだった。
 でね、この青山氏のセンスが父親に近いのではないかという妄想が湧いて来た。父親は芸術どころか、趣味も無くて、死ぬまで終始一貫、お調子者でした。お客さん(絵描きさん)と話す時は、もっぱら聞き役だったように思います。もしかして、美意識というものも持ち合わせていて、でも権威とか悪口とかにうんざりして、頑なに分からないフリをしていたのではなかろうか。…な〜んて妄想してみるのも楽しいもんです。父の事はいずれ近いうちに、また書きまする。
 旅館に戻る道すがら、コオロギがスゴーク鳴いていて、鳴き声に包まれると不思議な感覚。距離感と時間の感覚が消されるような。
 マリハナとかで、ぶっ飛んで聴く音楽といえば、歌モノは適さなくて、ミニマルなものがハマるらしいですが、この秋の虫を友にズッコリキメたら、どんな感じになるのでしょうね。
2006.9.4

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