芸術家は家族のことを語らない方が良いのです。…芸術家に限らないけどね。例えば、3世代同居で、夕食時には集まってテレビを見るロック歌手より、毎晩飲み歩いて、いっそ家が無い様な歌手の方に憧れるでしょ。知久君とか、あがたさんとか。 かつての家族のことも語らない方がカッコいい。天涯孤独の星の王子様が一番カッコいいですからね。でも、どうやら私は芸術家に成り損なった様なので、語ってしまいましょう。

父親のことは別の機会にということにして、さて。母との関係、弟との関係はどうであったか。エピソードなどが書ければよいのですが、ここはザックリ観念的に書きます。小学生4年生までの私は、泣き虫なくせに相当な頑固者で、自分が納得しなければ絶対に謝らなかった。親に対してね。弟は逆で。怒られる前からゴメンナサイゴメンナサイの安売りでした。 それが思春期の頃、突然関係性が変わる。弟は母に対して向かってゆく。「うるせぇくそばばぁ」調で、毎日飽きもせず口応え。弟にしてみれば、勉強したい、本を読みたい、友達と遊びたい、邪魔をスルナという気分が有った筈。

私はと言えば(福田さんと違って)客観的に見ることは出来ないのだが、おそらく性に目覚める頃で、日記を書いたりしつつ、新宿や渋谷に漠然と憧れたりしつつ、学業成績には何の意味が有るのか理解出来ずに辞めてしまったボンクラ、であった筈。 当然、母の攻撃対象は私に集中する訳で「死ね期待はずれのクズ!出て行け気持ち悪い虫けら」攻撃が加速する。私は逃げる。向き合っても何も解決しない。無駄なエネルギーを使っては自分の心身に内傷外傷が増えるだけだし、自分は非暴力主義で有りたい。したがって逃げる。

この頃に私の世界観は形成されたのかな。人間は決して理解し合うことの出来ないものである。言葉は虚しいものであり、言葉は神である。したがって神は虚しいものである。…なんつってな。 母は理不尽であったし、日本一気の強いB型女だったので、自分に非が有ってもゴメンと言わない人でした。カワイイというジャンルの極北にいる人でした。一度で良いから私に対してゴメンと言えば良かったのに。そしたら初めて私も泣くことが出来たかもしれない。なんつってな。母が生前最後に言ったのは「何もいいこと無かった」でした。合掌。

その頃、兄弟は勿論仲が悪かったし、私は殆どの事を記憶から消しちゃったね。夕食という事が記憶に無い。TVが何処に有ったかも記憶に無い。兄弟は親に対して「お母さん/お父さん」と言った事が無い。「アンタは」「キミは」「あの人は」という言い方でした。悲しい事に、私は生涯一度も「オカアサン」「オトウサン」と言った事が無い。彼等が75歳で死ぬまでの間、一度もそう呼んだ事が無い。大人に成ってからは名前で呼びましたから。 私が21で家を出てからは、家族の配役がガラリと変わった。弟は「お母さん」という呼び方を始めて、手伝ったり気に掛けたりする様になった。そして何と、母は御茶目な自分、愛すべき母を表現する様になった。これには苦笑しましたな。

当時50歳の親に対して、私は善良な市民といった見方をしているのでした。たまに会えば、私が親の愚痴を聞くという役になっていたのだから、笑ってしまうよな。
 母の気性の激しさ、荒ぶる魂は消えた訳ではなく、父に対して転嫁されていて、猛烈な嫌悪と怒りで日々噴火しておりました。離婚したいと年中言っていた。私も内心では離婚すりゃ良いのに、何故しないのだろうと思ったけど言わなかったけどね。
…ってゆーか、当時の私の嫁さんも気性の激しい正義感の強い女性でして、私は30の時に逃げ出して離婚してしまいました。
今になって思えば、活発で感情的で善良な両親であった、と言えるけど、思春期の頃は兎に角あんな人間には成りたくない、と思っていた。ではどんな人間に成りたいかと言えば、野生動物の様に、淡々と正しい行動を繰り返すのが一番だと思う。てゆーかですよ、人間てのは愚かで哀しいもんだと思うよ〜。
生まれ変わるなら男か女か、という話題で心底あきれるのは、それ程人間が良いですか?という疑問。

家族や友情とか、キリストとか仏様とか、全部共同生活の知恵だと思う。民主主義も何とか主義も、科学の恩恵も、国会内閣裁判所も。
 人間は動物と違って根本的に道を踏み外してしまった。ならば動物を観察して動物に教えてもらえば良いと思う。動物教。
ところで、人類はどこから踏み外してしまったのだろう。神に祈る事を始めた時からかな?言葉を書き残した時からかな。作物の栽培を始めた時?収穫した作物の保存を始めた時?通貨を発明した時?泣いたり笑ったりを心に留めるように成った時?

母は謝らない人だったと書きました。アメリカ人は大概、日本人ほど謝らないと言います。謝ったら自分が悪かったと認めた事になるから。非を認めたら賠償責任が発生するから?だから直ぐに弁護士付けたり裁判したりするのかな。それは醜悪だ。
 私はゴメンナサイスイマセンを連発する。何故ならその言葉が好きだ。むしろ意味も無く使う。念仏の様にとなえる。スイマセン教の教祖です。
日本人がアメリカナイズされないことを願う。日本では元々訪問時の挨拶にも「御免ください」と言っていました。世界中の人々が、至る所でゴメンナサイ、スイマセンを連発したら素敵なのになぁ。
2008.9

<戻る