拙書「ソガイカン」に「不連続ドラマ19歳」を書きました。
その続きを書いておこう、と思います。20歳のボク。
1974年、バンドをやりながら父の店(画材屋)手伝い。
手伝いと言ったって、役立たずの店番。小遣い稼ぎ。
バンドと言ったって、小遣いにもならない。
バンドってのはCloudy。一色進氏とか、5人編成。
10月には広島ナタリーでイヴェントライブ。夜行寝台で。
トランプで、はしゃぎまくり。怒られる。
広島は何だったのだろう。無料イベントかな?
エレキピアノをレンタルしてもらう手筈だったのだが、
スタッフが「これです」と指差したのはエレクトーン。
トホホ。当時私はFenderピアノ(43万)購入してました。

話しが終わらないので、端折ります。
駅弁買って東京戻り、真っすぐ大泉学園。当時の彼女。
近くの神社の境内で、その駅弁を分け合って食べたのです。貧乏ですから。
貧乏でしたけど、一緒に暮らそうという話しになりまして。
どうせ、いつかは誰かと結婚するのだ。恋愛は面倒だ。
てゆうか、私が女性を選べる立場ではないだろう。
結婚を前提に、一緒に暮らそう、という話題。

家を出て自活したい旨を、母親に打ち明ける。
「馬鹿かお前は。色キチガイ!」猛烈な剣幕でまくし立てる。
土下座しても許してもらうつもりが、その隙も無い。
手紙を書く事にする。猛烈に書いたが、渡せなかった。

翌々日、彼女と吉祥寺でアパート探し。
彼女の口に、殴られたようなアザがあった。
父親に殴られたのかな。殴ったり出来る様な人ではないが。
気になったけど、聞けなかった。で吉祥寺は高い。
諦めて明大前。ボロい木造平屋、6畳一間に決める。
つげ義春の世界。てゆか、赤色エレジーだよな。

1週間後、彼女の友達がトラックを運転してくれて、
夜逃げのように引越敢行。積み込んだのはステレオと、
レコード百枚と、机とベッドが一体化した安い家具。
新生活は、楽しかったのかなぁ。よく分からない。
Cloudyだけでなく、色んな人々が来て、泊まってった。

11月は、エリック・クラプトン初来日を見てる。
期待し過ぎてガッカリ、と書いてある。
ポインターシスターズ/ロバートロックウッド&エイシズ。
どちらも最高。20歳の時点で、ROCKから他へ興味が移っている。
12月はタワーオブパワー。これも度肝抜かれた。スゴイ!
会場で森園先輩を見かけた。とにかく黒人に憧れた。
レコードは幅広く貪欲に聴き漁っていたが、特にBLUES。
T・BONEが国内盤で出て、ホントに興奮したなぁ。
もちろん輸入盤も無かったよ。ドン&デューイも聴きまくった。
その中から『FARMER JOHN』2001年の私のCDでカヴァー。

12月バイトを始める。東京駅で横須賀線と東海道線の掃除。
自分に向いてると思った。が、ゲロは困る。時間がない。
10分間で3両ほど清掃するのに、ゲロだけで10分使う。
あと、飲み残しの缶入りドリンク。ホントにヤメてね。
タバコの吸殻なんて、床で踏み消しても全く困らない。


1975年正月も元旦から電車の清掃。
自分は、成人式を祝うなんて身分ではなく、
埼玉の成人式パーティで、バンド演奏の仕事として参加。
Cloudyも荻窪ロフトとかやったけど、高田馬場ピープル。
あそこでリハしてたね。エレピも置きっぱなしで。
そのCloudyは、ギターの中村君脱退で解散。てゆか分裂。
4月から2つのバンドが発足。私は両方加わることになる。


当時の家計簿。電車賃30円。煙草(チェリー)百円。銭湯75円。
物価は3倍くらいになったかな。ところがLPは2000円。
BEST OF・バディガイ等々。当時は3倍の貨幣価値だった。
今は逆にもっと安くなってる。安くても売れない時代だな。
ルーリードのチケット代は、S席3000円。
レコードプレーヤーの針は1万で買ってた。スゴイね〜。
カセットデンスケは、51000円で買った。思い切ったね〜。
大卒男子初任給に等しい。家賃の倍以上だなぁ…。

1975年5月。分裂した片方は、ポニー&チークス。
青山ドルフィンでR.H。もう片方はピープルセッションバンド。
高田馬場でR.H。もうひとつ、相沢氏に誘われてR&Rバンド。
これのR.Hが多い。毎日どれかR.Hがあって、夜は電車清掃。
暇がなかった。さらに週2で誰かが来て、飲んで泊まって行く。
BluesのLPも買い続けたが、買うだけでなくBlues飲み屋。
タフだね。目一杯だ。TVとパソコンが無いから出来たのかも。
キャロルが、4月に野音で解散ライブを決行していて、
相沢バンドは、矢沢永吉さんのバックバンドを目指していた。
皆さん陽気。特にドラムのチッコ氏はファンキーっす。
何が好きなのと聞かれ、私は生意気盛りで、
Little Featと答える。当時、国内ではLPが未発売でした。
「リトルビット〜?ほんのちょっとか?」違いますよぉ。
矢沢さんを視野に入れて、練習曲はジョンのRock&Roll。
完璧なリズムと歌でした。粘っこい。スゴイ。
5月28日、開店前のPeopleに矢沢永吉さんが来て、オーディション。
ロックンロールを数曲やる。彼はソファーにふんぞり返って、
キャロルの矢沢永吉のまま。ぶっちゃけ怖かったよね〜。
でも…彼が歌うのかと思ったが。喋りもせず。(OKとか言ったかな)
そのメンバーが矢沢バンドになりましたが、私はビビって断った。
やってたら人生変わってただろね〜。やるべきだったのかな。
何だか、もう戻って来れない気がした…。その夜も電車清掃。

1週間後、ドラムのササ坊が「ずうとるび」のシングル持って来た。
バックバンド探してるって。やろうぜ、って。
矢沢さんにはビビったけど、ずうとるびなら出来るかな。
それに仕事の数が多い。ギャラも1本15000円ですって!
家賃が2万円…。キツかった電車清掃、辞めました。

嫁(結婚式した)とブルース飲み屋に行ったり、コンサート
(B.B.キング/バディガイ/Jr.ウェルズ/オーティスラッシュ)
とか、BLUESに関することは全部拾い集めていた。
「MCAブラックミュージックの伝統」上・下巻でLP4枚、
計7200円。1ヶ月の食費と同等だが買う。
人間関係も人並み。向うの親と旅行にも行った。
たまには泊まってく友人もいた。
TVが無い、ということ以外は、普通の20歳だと思う。
ところが7月からは普通の20歳ではなくなった。
ずうとるび。6回のリハーサルで全国ツワー。
初日前日、泊まりに来る友人あり、私は準備もあり完全徹夜。
朝6時に出て上野駅集合。長野県上田市民会館。昼夜公演。
緞帳という幕の向うで、暴風雨のようなザワメキが聞こえる。
幕が上がるとキャーという悲鳴で、演奏が聞こえない。
譜面を見ながら、ドラムを見ながら、必死に付いて行く。
別世界。私の知っているコンサートと全く違う。
翌日は初TV収録。紅白歌謡ベストテン。遅刻して怒られた。
その夏だけでも、愛知、広島、大阪、京都、福島、仙台、
札幌(初飛行機)桐生、そして日比谷はライブ盤になる。
あの4人はホントに気取らなくて、人懐っこい明るい少年達。
soloコーナーがあって、各々が好きな曲やる。
今村君はG.F.Rのハートブレイカーとか。
江藤君はパープルのBlack Nightとか。
新井君は、結構ボクらバンドの楽屋にいたなぁ。
D.ボウイの、サフラゲットシティ歌ってた。客は中学生。
寸劇コーナーがあって。稲川淳二さんと、木久蔵さん、
一緒に回ってました。ライブハウスとは別の世界。

あの頃、何がツライって、1にも2にも、免許が無かったこと。
平行して、ポニー&チークス、People session band、練習は多い。
その度にエレピ、オルガン運ぶのだが、誰かに頼むしかない。
それが嫌で嫌で、胃が痛かった。もう辞めたかった。
楽器を運んでもらう為に頭を下げるより辞めたかった。
keyboardistが仕事場でリース楽器を使うのは80年以降。
てゆか普通はローディーがいる。自分で頼むべき?
ローディーにカネ払ったら私はノーギャラになったであろう。
てゆか、私は何だ?便利屋か?お手伝い人生。

楽器運搬に困りながらも、クラヴィネットHOHNER D6、買う。
電気仕掛けのチェンバロ。これも重い。現金で25万。家賃1年分。
sessionで、これでsolo弾くと最高。鍵盤押さえてvolumeフルテン。
スピーカーの近くだとFeed backする。ギターと同じ原理。
そこにワウワウかます。もうアドレナリン放出っすね。

婚姻届を出した日に、HOHNER D6買ったのだった。
婚姻届どころではない。重くて!持ち帰れず!
電話で嫁を呼び出して、棺桶のように2人で運んだなぁ。

当時、国産シンセは無いです。
Arpオデュッセイというシンセをあてがわれ、宿題になる。
取説もちろん無い。試行錯誤するが音階にならない。
ピーピーとかジャ〜とか。これは楽器ではない。腹立つ。
シンセは使わない宣言をする。他の人に任せた。

10月21日、目黒区民センターでYYコンサート。MoonRiders。
あがた氏も?そしてHotLandingを見た、と記憶する。
当時(今も?)日本のフォークロックは8ビートだけ。ダサイ。
Hot Landingは日本臭くない。アマチュアだけどLittleFeat!!!
デブと、ヒョロヒョロと、小さいの。妙に印象に残る。
面白いとは思ったけど、まさか40年近く一緒にやるとは!ネ。

7月から継続中のずうとるび。地方公演は月に平均6〜7回。
ステージ衣装は、緑のジャンプスーツ!体にピッタリ。
勿論ロンドンブーツ。ヒールが13cm。7cmどころではない。
ミュージシャンの知り合いも増えた。笹塚にドラムのキース。
後に、ARBで有名になる。90年代はストラングラーズ。
LPを借りてたのを返しに行ったが、留守で置いて来た。
ミーターズのREJUVENATION。32年後、私もカヴァーする。
A.W.Bも借りたかな。ARBではなくて。平均的白人バンド?
御互い50過ぎた頃再会したけど、私の事は思い出してもらえず。


その頃、ずうとるびのマネージャーに「ニックネーム自分で考えて」と言われた。
あの頃、平気で英語の愛称が多かった。ミッキー、トミー、
チャーリー、エディー、ドン、ハリー、ピート、キース…。
ふざけんな。そんな恥ずかしい名前アリエナイんですけどー。
と言いつつ、…いっそメリーでいいや。メリーと呼んでください。
という訳でメリーにしました。ヒド過ぎる?
でも、サリーとジュリーてのも、大概にしなさい系だよね。

12月1日。ナッシュ&クロスビーを見て、しみじみ感無量。
2日後、いつもの高田馬場Peopleに寄ると、
後でグラハムナッシュが来るってさ。クレイグダーギーは誕生日。
マジか!嫁のバイト先に電話。新宿のケーキ屋さん。
初めて間近で見る外国のミュージサン。嬉しかったなぁ。
嫁が奮発して、丸いケーキを持って来た。
クレイグダーギー氏は喜んで「おぅ!ザントクーヘン」と言った。
忘れられない思い出だにゃ〜。

書いてみると何だか華やかな青春のようだが、
実際は風呂どころか湯沸かし器もなくて。キビシい生活だった。
結婚イコール我慢だと思ってたので、大抵の事は我慢したが、
嫁に、友達の悪口、不満を言われるのは我慢出来なくて、
その度に口論になった。21歳の年の瀬。
大晦日のBYGの事は『ソガイカン』(ぼくのメトロ濃霧)に書いた。参照うお。



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