1980年度を2回に分けて書きましたが。
書き損なったこと、収入は200万を超えたであろう、ということ。
ライブと録音で200回(リハーサルとマリーゼ除く)だからね。
×1.5だとしても300万超えて良い筈だが、200万くらいかなぁ。
で、vocoderが、13万。エコーチェンバー5万以上。
ジュピター4が30万。年末にKORGトライデント、47万で買う。
エレピの修理代、10万。これだけでも百万超えとるやん…
何を食べてたっけなぁ…。ほか弁が出来て、のり弁当が260円!
感動した。こんなスゴイ物が260円。夫婦で半分に分けて食べた。
楽器代に百万以上だけど、ナ!
1981年、全てがガラリと変わった。りぼん(RCサクセション事務所)
の所属になり、給料制。月収12万。減ったなぁ…楽器に金が掛かるし。
給料ということだから、他の仕事はもう出来ない。
ロンリーローラーは、1月からTVドラマ『探偵同盟』の主題歌になる。
私はTVが無かったので見た事がない。オリコン27位になった。
3月 夜のヒットスタジオ、小川宏ショー、で決定的な雰囲気。
私はTVが無かったので見た事がない。
何だか台風が来る様な、大きな渦の雰囲気を感じていた。
大阪、神戸、京都を挿んで、kittyの伊豆スタジオでレコーディング。
サンリオのkittyではない。陽水、高中、RC。渋谷駅前、宮益坂。
それ以前の録音現場では、ちゃんとした物を立派に作ろうとしたが、
VSでは、効果音とかシンセサイダーを目一杯ぶち込んだ。
シンセにディストーション通すのが大好きでした。特に間奏はネ。
それでも、立派にしようとする勢力にに負けて、中途半端でした。
今は聞きたくないなぁ。
完成品を、当時の奥さんは「アナタが主張するようになってから、
あがたさんの魅力が半減した。半端な物が出来た」こき下ろした。
私はイライラしました。時には怒鳴り合いになる事もあり。
VSの地方公演に、突如奥さんが来る事もあった。サプライズ?
ウチにはそんな金銭的余裕は無いだろ!イライラする。
kittyでミーティングという時にも突然現れたことがある。
頭が狂ってるのではないかしら、と思いましたよ。
やめてくれと頼んでも「自分に正直に行動する」て、フザケンナ。
私の立場で書く事は公正ではないかな。違う見方も有るかもしれない。
楽しい事もありました。てゆか、飲みに行く相手は多かったです。
井の頭公園お花見はスゴかった。しん平は靴を無くした。

私は記録しないと何も記憶出来ない。メモリー小さすぎ。
なので逆に記録しまくります。曲順表も、ほとんど取ってある。
最初の1年、最多記録は、エアプレン、ロコモーショ、サブマリン。
この内2曲(エアプレ/サブマリ)はデビューLPに何故か入ってない!
次の1年毎回やったウィンターバスも入らない。って不思議だね。
うる星やつらの『星空サイクリング』実はライブで殆どやってない。

まぁ、大抵は痛快なライブでした。私にマイクは無かったけどネ。
シールドコードを鞭にして、KORGシンセを叩いて効果音出す的なネ。
録音もライブも、打込みやテープは無し。手弾き。やること多し。
以前(1月?)客席の酔っ払いジジイが、野次を飛ばしてきた。
どうやら「出演ヴァージンVS」という看板でストリップと間違えた?
初夏の頃には満員で、若者がイッパイ。だけど悪口も書かれた。
業界パンク?コーラスガールなんて、ROCKにあるまじき形態だ。
ぶっちゃけ私も、女がいない方が良かった。私は後ろの人でした。

1年前に比べると、週1以上で休みもあり、友人来宅も減った。
が、日記には「どつぼ/泣きそう/イライラ」という表現多し。
念願の創作活動も出来る筈だったが、奥さんがいると出来ない。
頼んで出掛けてもらい、3時間独りにしてもらう。が、出来ない。
特に歌詞。日本の音楽の歌詞は、殆ど嫌い。自分は違うと思ってた。
ゆえに?書けない。書いて消して書いて消して。結局書けない。

真面目でした。私個人の支出は月に6万。飲みが1万。LPが8千円。
電車賃、タバコ、外食費がそれぞれ6千円ぐらい。タクシーは少ない。
そんな中で「ステッカー5千円」ですって!VSの7人で出し合って、
ファーストアルバムの図柄のステッカー作った。僕たち可愛いネ!


7人の中でも私が一番貧乏でした。シンセ買っちゃうから。
その年も世界最高のシンセRolandジュピター8を買ってしまった。
定価98万。値切って74万円。専用ケースが7万、計81万円。
リハーサルは週に2回以上。スタジオJ。またはポリドール。
モンテクリストと、サブマリンは超大作になってきた。
サチオ選手は新曲がどんどん出来る。が、バンドの雰囲気は悪い。
ライブはスゴかった。録音がイッパイあるよ〜聴かせたいねぇ。
6月にファンクラブ「すみれ団」会報を貰う。嬉しい。
ファンの人と飲み屋。って初めてだし、チヤホヤ感も初めて。
7月21日、
私だけ呼び出され事務所
(りぼん)で私の写真?
雑誌クロワッサンが私の写真
を撮るという。
大珍事。
それがコレ。
9月10日号に載りました。
全身これが深紅です。
これじゃぁモテても
仕方がないよね〜。
浮いた噂もないけどネ。
撮影時にチャボさん通りかかって、
吃驚してズッコケしてました。

8月9日、ウチで27の誕生日。あがたさん達2人と、渡辺夫妻と、
リッツと、谷君で。朝までトランプ。と書いてある。マジか?!
リア充?なんだか…過去の栄光を語り出すていになってる?
頭の悪いミュージシャンが、無教養で、無趣味で、向上心も無い、
苦労知らずなまま、暴露本を書きたがってるみたいな?違うってば。

漸く、本を、読む余裕も出来て。VSのキーワードになってる稲垣足穂。
とか、弟の推薦で「ものぐさ精神分析」岸田秀とか読む。はまった。
その後、岸田秀、15年で15冊は読んだと思う。
久しぶりに見た映画は「家族の肖像」「イノセント」くだらねえナ。
それより、あがた推薦の「ロッキーホラーショー」B級ミュージカル的で、
素晴らしい。なるほど!ヴァージンVSだ。サチオ君も好きだそうです。
夢はプール付き別荘で、ロッキーホラーショーごっこ。
2001年(47歳)の私の初ライブ初ツアーで、黒い下着姿になった。
この映画の印象が、刷り込まれていたのかもしれないネ。
時計仕掛けのオレンジも見た。これが映画だよ。これが最高だね〜。
秋のライブも多かった。あがた氏は、屋根裏で最後の曲から走り去り、
汗まみれの金色衣装のまま、銭湯に向かうパターンが有りました。
30分程でサッパリ艶々になって戻って来る。
雑誌の露出も減り、屋根裏の観客動員も減って来た。
りぼんからはクビ話しも聞いた。バンド内の愚痴も多く、嫌な雰囲気。
あがた氏宛に手紙を書いた。13時間。すごい陰険ですよね。
批判的なことを書いた筈です。もー恥ずかしーねー。ホントに。
険悪だった訳ではなく、仙台から帰路は皆で4時間しりとり。
新メンバーの三科マサル、面白いんだよね。会いたいなぁ。面白い。
1981〜1983の3年間は、ヴァージンVS中心でしたが、
他の人にも会ったよ。秋には新宿ロフトで、メトロファルスってのと、
ナイジェルっての『東京ネットワーク』2回とも見た。スゴイでした。
11月、ナイジェルのDEMOを4tr.録音の技師として手伝う。
それを素材に、ぐっちゃぐちゃに加工して、DUBヴァージョン作る。
誰も喜ばない自己満足だけど、俺ってスゲーな、才能あるナ、と思う。
12月、GUN氏がメトロを6曲持って来て、ウチでシンセ被せる。
楽しかった〜。笑った〜。12月22日はメトロ(渋谷ニューキャット)
ライブ参加。割と出鱈目。悪酔い。吉祥寺あたりでゲロ吐いた。
この年、私が聴いたBEST3は、P.I.L.『フラワーズ・オブ・ロマンス』
スクポリなど、ラフトレードのシングル盤数々。YMO『テクノデリク』
ペンギンカフェの2枚も聴き狂った。
BLUESもやめた訳ではなく、ブラインド・ブレイク遂に発見。
これにて(オリジナル盤ではないが)音源的には33選!コンプリート!
ラテンのJohnny Venturaなどにもココロ時めかせておりましたよ〜。

長文、読ませて御免なさい。この大晦日は、 裕也さんの浅草国際劇場。
スターリンを見た。感動した。バケツでゴミを撒いていた。
撒いたゴミで、転びまくり、転げ回り絶叫していた。
ヴァージンVSは、その後の後に出ました。楽しく元気なPOPSバンド。


           <戻る