池袋 Polka Dots(ディランBar)で福岡史朗君が、
「Dylanは歌もギターも滅茶ウマい」って、
ジョークかと思ったけど、本気で言ってたね。
でもDylanは歌詞の人。結局意味分からなかった。
トリッキーで難解、しかし分かりやすいフック有り。
Like a Rolling stone.とかThe Time They Are A Changin’
65年以降のBeatlesの歌詞に影響を与えた人。
Beatlesにマリファナを教えた人。
最近、Beatles「悲しみはぶっとばせ」あの曲が、
ディランの真似だってことを初めて知った。


60年代後半だけでも、キッチリ丁寧に把握しておきたい。
彼の事を分かりたい。冷静に向き合ってみます。
私事で恐縮ですが、昔の思い出話から始めます。
1970、高2で、5枚目とハイウェイ61とジョンウェズリ、
まとめて買ったら弟が激怒した。仲良し兄弟では無い。
「お前はロック聴いてりゃいいんだよ」とマジ怒り。
「お前にディランを聴く資格はない」とまで言われた。
そーかもしんない。有名曲以外はピンと来ない。
「 Like a Rolling Stone」は確かにカッコいい。
しかしリズムがヨロヨロ。リハーサルみたいだ。
あの時、ジミヘンを先に聴いていた筈です。
「 転石のように」ジミヘンの方がスゴイ。
「見張塔からずっと」もジミヘンがカッコいい。
見張り塔を収録「ジョンウェズリー」単調だったなぁ。
ジャケットがグレー(ねずみ色)で、覇気がなかった。
眠そうな声でボソボソ歌ってた。
悔しいから何度も聴く。聴くうちに好きになってきた。

ブロンド・オン・ブロンドは2枚組なので買わず。
弟が買う。…傑作なのだろうけど、歌い方がイヤだ。
メロディーを崩す。ヌメっと吐き捨てるように。
1曲目。雨の日の女。赤組入場のような行進曲。
歌詞は、Everybody must get stoned.を繰り返す。
マリファナが決まると体が石のように動かない。
それを称して、Get stonedと言います。
つまり「みんなでマリファナやるべきだ」的な意味。
ふざけてる。あの頃、左翼の旗頭、メッセージソング、
ディランを大統領にと言う者までいた。
彼はウンザリして、はぐらかしたのだろう。


簡易年表を書いたけど、
1965から補足します。
1965.9 Like a Rolling stone.全米2位。
50年後の現在、
ロック史上で最も重要な曲と言われる。
ちなみに、その時の1位は、
Beatlesのヘルプ。その前月は、
R.stonesのサティスファクション。
翌1966.9月からワールドツアー。
バックはザ・ホークス。
英ロイヤルアルバートホール、
これを見たデヴィッドボウイは、
ギターを持ち歌手を志す。

1962 アルバム・デビュー(20歳)
ビートルズもデビューは1962年。
ディランはポールより1歳年上。

1963 フリー・ホイーリン(全英1位)
1964 時代は変わる
1964 アナザーサイド
1965 ブリンギング・イット
【バーズによるカヴァーが no.1ヒット】

1965 追憶のハイウェイ61

1966.5 ブロンド・オン・ブロンド
         (2×プラチナ)
1967.12 ジョン・ウェズリー・ハーディング
【海賊版が出回る。Great White Wonder】

その夏、7.29オートバイ事故。
首の骨折ったってさ。再起不能説。
ビートたけしは、 自分のバイク事故 を自殺だろうと言った。
ディランも、鬱な気持ちが事故を引き起こしたのかな。
ツアーはキャンセル。次にツアー再開するのは1974。
単なる8年間ではなく、ロックが花開いてから萎むまで。
ロックの時代が来て、そして終わったのが1974だと思う。

翌1967年。何をやってたか。ホークス(後のThe Band)と、
ビッグピンクで録音ごっこをしていた。遊び?
なぜ発表しようと思わなかったのかな。
プレッシャーから逃げたのだろう。
結局1975年2枚組で発売。「地下室」全24曲、だが、
これもロビーロバートソンがダビングしたり、何か不自然。
2014年にブートレッグシリーズ11集として完全版が出る。
これがなんと6枚組138曲2万円。それ聴くのは忍耐だろな。
通常盤2枚組38曲¥3600、てのも出て。これなら買えるか?

ザ・バンドとの録音は、当時お蔵入り。
出たのは「ジョンウェズリー」3日で録音したってさ。
アコギとハーモニカ。バックはシンプルな、Drum/Bass。
1967暮れと言えば、サージャントペパーズも、
ジミヘンも出てたが、Dylanはフォークロックに戻る。

1968年は音沙汰無し。
The Bandは「Big Pink」でデビュー。
ジャケはディランの下手な絵。何か内容とチグハグ。

1969年、ナッシュビルスカイライン。
これはC&W。
ジョニーキャッシュ御大と
デュエットもあり。唖然。
C&Wといえば保守層の音楽だよ。
反感買っただろね。
何より声が別人。声帯模写?
ふざけてるの?
高2の私も、迷走するオッサン
として認識した。
ここまでは、後追い体験。
リアルタイムではない。

1969.4 ナッシュビル・スカイライン
1969.8【ワイト島音楽祭出演】3年振り(17曲)

1970.6 セルフポートレイト
1970.10 新しい夜明け
【1971.8 ジョージ主催のバングラデシュ出演】

1971 グレーテスト・ヒット第2集
【大晦日、ザ・バンドのライブにゲスト出演】4曲

1973 ビリーザキッド(サントラ)『天国の扉』
1974 偉大なる復活(初のライブ盤)
1975 地下室(録音は1967夏)24曲
【1975.10〜 ローリング・サンダーレヴュー】

1970年、モロ手抜き「セルフポートレイト」カバー多し。
FMで聴いて、気が知れないと思った高3。特にボクサー。
ディラン信奉者のグリールマーカスは、音楽評論誌に、
「このクソは何だ?」と酷評した。

中村とうようが当時のLPライナーで書いた文を引用する。

 オリジナル『セルフポートレート』5つのショック。
1. ひとの曲は歌わなかったのに「ボクサー」等、選曲の異様さ。
2. ストリングスや女性コーラス、ポップシンガーのような編曲。
3. 自作の曲にも、自己主張、メッセージが見られない。
4. 制作態度が極めてイージーゴーイング。
5. このようなアルバムを自画像と呼ぶ真意は何?


2枚組だし、買わず。ディランよりZeppelinが大事です。
しかし45年振りに、ディランの気持ちが分かって来た。
今年に成って『アナザー・セルフポートレート』1969〜71
と本来の『セルフポートレート』初めて買いました。
彼は、古き良きアメリカ音楽が、ホントに好きだったんだ。
で、自分の不器用さを知っており、批評されるのが怖かった。
ライブも怖かったろう。で、バイク事故で隠遁したんだね。
ロバートソンに唆されて、ワイト島フェスには出た。
ロバーソンにしても、ライブは恐怖だと言ってたけどね。

また私事です。LP買わなかったが、小倉エージとかの記事で、
ディランのシングル盤はLP未収録との情報。しかも!
レオンラッセル、ケルトナー、ジェシ・デイビス!!!
聴かずに死ねるかで「川の流れを見つめて」「マスターピース」
これが良くて、ついでに「ジョージジャクソン」「ハリケーン」
この4枚、B面もイイ。LPじゃなくて充分ですわ。
そして遠ざかり。78年の武道館も、86年来日も見てない。
80年代後半、LPからCDへ、時代は変わる。
『グレーテスト・ヒット第二集』これが単なるBestではない。
付加価値付きBest盤の先駆けだ。これがイイのよ。
彼の40枚越える作品の中で、これが1番好きかも。
最近の『モダンタイムス』まで、半分近く聴いたかなぁ。
ディランに限らずだが、1978以降の英語音楽は、もう聴かない。
昨晩、Like a Rolling Stoneのライブ録音、3種、聴き比べ。
「セルフポートレート」のワイト島、1969
The Band「ロック・オブ・エイジズ」1972
両方ガッカリ。納得がいかない。
8年振り再開のツアー「偉大なる復活」1974
これが一番良い。これは胸熱いぜ。 映像見たいぜ。
ディランに限らず、70年代初頭、映像ないんだよ。
DVDで「LIVE IN COLORADO」1976を見た。
その頃から、現在まで続くネバーエンディングツアー。
でも、2年前のディランは別人だった。見てーす。
さておき、40年振りに「ハイウェイ61」を聴く。
Like a Rolling Stone.これだ。空気が違う。(´- `*)・:*:
How does it feel.全く誰からも相手にされず、転がる石の様。
長々と読ませて御免なさい。有り難う御座いました。
追記。youtubeでの失笑物ディラン。ういろうざワールド。
https://www.youtube.com/watch?v=1UfVmJBF-OY
御大に、こんなスカシタ曲は無理だっつーの。キノドクス。
本番でも彼だけは、メロディーを全く歌わない。
やっぱ、あがた氏は直系だ。日本のディランだわよ。
彼と私は接点がなくなってしまったが、
僭越ながら、80年代、私がロバートソン役だった。
私はロバートソンが嫌いなので複雑な気持ちです。
あがた氏の新作、1965のディランへのオマージュ?
だそうで。嗚呼やはり、帰結する所へ来たんだなぁ…。
聴く機会は無いかもだが、感慨無量でゴンス。
hhu

hhu

          <戻る