1981、2月と3月でファーストアルバム録音。これ、今、20年振りに聴いてみたけど、こりゃヒドイ。…ヘコむなぁ。全ての要素がイマイッポ。だけど「モンテクリスト」「サントワマミー」等、あがた氏の歌声に関しては、いい曲もあるけどね。しかしコーラスのバランス、でけえ〜。これじゃ、コーラスが目の前で、バンドは10m先でやってるようなもんだ。
 このジャケットも、訳がわからないよ。写真ドーンよりは良いけど。あれは、ヴイズ様と呼んでました。あがた氏が散歩の途中で拾ってきた、車の部品だそうです。デザイナーも困って、バックにジェリービーンズ敷き詰めたりしてました。私がバックにジェリービーンズは止めてくれと頼んで、白バックになりました。
 ジャケットついでに、2枚目は7人の顔が載っているのだが、私の顔だけ縮小しているんだってさ。デザイナー氏がそう言ってました。私、顔でかいですから。
 レコードはともかく、ライブは盛り上がった。石川くんや、マルタくんも見に来ていたそうです。あがた氏は凶暴でした。いつぞやはステージの床踏み抜いて、足の骨折って、しばらく松葉杖で歌ってた。京都のサーカスだったか、2階桟敷から顔出して旗振りながら歌ってたり、つまり客はみんな上を見てる訳です。
 渋谷屋根裏では最後の曲終わってから、金ピカのつなぎ衣装のまま、近所の銭湯まで走って行った。異常に盛り上がったなー。客も暴れてたなー。カッコ良かったのかなー。
 でも、コーラスのリッツとかは手厳しくて「あ〜ぁ、うちの男子ももっとカッコ良くなってよっ!」プンプン、とか言うものだから、私もカチンと来て「恰好良いって、例えば誰?」と返すと「鮎川誠さんとか」と言われてしまいました。はっはっ、そりゃ無理だ。

 リッツといえば、野音で見てた客が「あの娘たち、やられまくっちゃってんだろーなー」とか言ってたそうですが、大きな間違いです。私が見たところ、当時リッツは百%ヴァージンでした。その野音のステージで、ころんで尻餅をついてしまう娘でしたよ。
 いろんなことが有った。50過ぎのオッサンがライブに来て、客席から野次ることが有った。何故と思ったけど、どうやら表の看板「ヴァージンVS」を見て、ストリップと間違えて入ってきたんだよね。気の毒をしました。
 8月、久しぶりに休暇があって、海に行ったけど、寒くてあまり泳げなかった。その帰りに神保町のボンに寄った。ここは昔からホットランディングの溜まり場みたいな店だったのです。よっちゃんが隣に来て、顔を手で被いながら「GUNの野郎が…バイクで事故りやがった…」と言って泣いてしまっていた。私も困ったけど、なんと言ってよいか分からず、そそくさと帰ってしまいました。かなり危ない状態だったらしいけど、本人は事故の記憶は全く無いそうです。GUN、23才。
 その年の瀬には、GUNちゃん1人で私のアパートにやってきて、メトロファルスのテープを聞かせてくれた。前歯が4本無くて、でもヘラヘラしていて、私も笑いましたよ。で、そのテープにシンセ被せてよってんで、夜中までヘラヘラしながらシンセ録音しますた。それが、キッチンレーベルから出たメトロのデビュー盤です。

 メトロは10月1日に新宿ロフトで見た。デビュー間も無い頃だった筈。これは凄かった。ホットランディングとは全然違っていた。感激しましたよ。ホントに凄いと思った。
 対バンはナイジェル。このバンドの経緯も、よく覚えている。一色くんはシネマを辞めていて、しん平はヴイズを辞めていて、で一色くんが「しん平紹介してよ」ってんで、2人でしん平のアパートに行ったのです。で、一色くんがしん平に、バンドやろうぜって話をした訳です。当時しん平のアパートにヒッピーのような居候がいて、そいつが失礼な奴で、寝たままこちらに顔も向けずに大声で「やるだけ無駄!アホ!」とか言うんだよね。全員苦笑でしたけど、10月1日のLOFTで、ナイジェルのボーカルが、その失礼なヒッピーでしたよ。やれやれ…。
 この頃、ヴイズのライブは快進撃を続けていたが、普段のあがた氏は、いつも不機嫌そうでした。私は彼に手紙を書いた。あがた吉田松陰説、みたいな物だったと思う。直接喋れなかった訳ではないけど。会うのを避けていた訳でもないけど。一緒にファッションショーを見に行ったりもした。冗談ではなく、ホントのヨージヤマモトのファッションショー。あがた氏は全国区で顔が広かった。原宿で前方からモデルの山口小夜子さんが歩いてきて、「お久しぶり、元気?」とか話しかけられていて、私はビックリ仰天したものでした。

 ま、いろいろ有ったけど、切りが無いので、そろそろ終わりにします。読み返してみると、もっと利口そうなことも書けたのに…と思います。タルホのことも書いてないな。
 ひとつ思わせぶりなことを書けば、私がヴイズから学んだこと、音楽ってのは音楽じゃないんだな。皆さんキット、優れた音楽は、優れた音楽のことだと思ってるだろうが、それは違うかもしれない。優れた人物が、優れた人物だとしても、それは誰にとって?…とかね。
 あの頃、私もだんだんストレスが溜まってきていた。自分でも何か作りたいのに出来ない。自分自身に対してもイライラしていた。あがた氏に対してもイライラしていた。
 でも訳もわからず泣けてくる時もあった。ライブで「いとしの第六惑星」という曲で、あがた氏の「帰り〜たくない〜」というのを聞いて、涙がトロトロ出てきて、アイラインが目に痛くて、さらに涙が出て、もう顔を上げられなくなって、下を向いたままになってしまった。
2004.7.23

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